中学に入ると、足の速さを生かして陸上部に入部し、部長を務めました。1年生のときは学級委員長と全体の学年委員長を務めました。今でも覚えているのですが、中2のときに、別のクラスの先生に呼び出され「生徒会長に立候補してくれないか?」と直接頼まれたこともありました。

そのときにはすでに他の立候補者がいたのですが、その子が女子生徒だったのです。先生は、女子生徒ではなく、男の僕に生徒会長になってほしかったのだそうです。いま思うと特定の生徒に教師が直談判するのも変だし、ジェンダー問題でその先生が批判されそうですが。

しかしながら、当時の僕は過酷な受験戦争を控えており、優秀な兄に「生徒会長になったら忙しくて受験落ちるよ」と言われ、生徒会長の推薦を断ることにしました。

その後、勉強があまり好きではなかった僕も、一生のうちで一番努力し勉強をしたのが中3のときで、なんとか希望校の慶應義塾志木高等学校に補欠一番で入学することができました。年間の授業料が高い私立に、高校・大学と7年間通わせてくれた両親と、受験のサポートをしてくれた兄にはとても感謝をしています。

高校に入ると、さすがは慶應で、周りは各学校のクラスで一番のやつらばかり集まっていました。勉強もスポーツも到底勝てないわけで、さっそく高校1年生から留年すれすれだったのですが、そこで音楽=バンドと出会います。これがのちに、今の会社に入る前の27歳まで続けていたバンド人生の原型だったのです。