【前回の記事を読む】兄と弟は勉強が得意な秀才タイプ。一方、僕は勉強があまり得意ではなかったが体は兄弟で一番大きく、スポーツ、美術、音楽が得意

はじめに

リーダーとなることが多かった幼少期〜現在

その後、大学に進学しバイトリーダーを続けながら、一方で高校時代のバンドのボーカルと一緒に音楽も続け、結局その夢を諦めずに卒業後も音楽の道を目指すことにします。ちなみに、そのユニット(のちにバンドになる)でもリーダーを務めていました。

慶應義塾大学の経済学部には、高校からのエスカレーター式で入学し、高い授業料を払ってもらいながらなんとか留年せず現役で卒業。そうかと思うと就職活動は一切行わず、音楽でプロを目指したいと思っていました。

かなり親不孝だったのですが、両親は最後まで僕の音楽活動を応援してくれ、CDを買ってくれたり、ライブに足を運んでくれたりしました。

大学を卒業すると、レストランのバイトリーダーをするかたわら、テレアポ営業という新たな自分の才能に気づきました。いわゆる電話で契約をとるテレフォンアポイントでは、
100人くらいが在籍するコールセンターで成績トップを獲得し、バイト入社2ヵ月でチームリーダーに昇格し、電話を自分で掛けずに掛けさせる側に回りました。

一方の音楽活動では、一時はワンマンライブで500人キャパのライブハウスを満員にしたり、インディーズレーベルからCDを発売したりと、わりといいところまでいったのですが、27歳のときにその夢は破れます。

当時、僕は結婚をしていたので、今まで好きなことをこれだけやらせてもらったのだから、とすっぱり諦めてすぐに就職活動をしました。しかし、大学生のときに就職活動を一切したことがなかったのでやり方もわからず、また28歳社会人経験なしということもあり、登録した転職サイトから紹介される面接でも落ちに落ちていました。

そんななか、僕を面白がってくれたのが今僕が代表を務める会社、サンコミュニケーションズでした。業界未経験、28歳既卒、当時を振り返るとよく雇ってくれたなと思いますが、僕はこのイベント制作会社で第二の人生を歩みだしました。そして、そこから約10 年ちょっと、39歳で社長になったのでした。

自分の人生をこうして短く振り返ると、やはりそのときそのときのポジションやコミュニティの中で「リーダー」を担うことが多かったように思います。それはなぜかと自分なりに分析すると3つ理由が挙げられるでしょう。

まずは、目立ちたがり屋であったから。一団員ではなく、リーダーのポジションに立とうとしたのは、人より目立ちたかったり、注目を浴びたかった衝動の表れだったのだと思いました。承認欲求や自己肯定感が高かったのかもしれません。

次に、今の仕事にも通じますが発想や企画が好きだったからです。何か物事を考えるときに積極的に自分のアイデアや、やりたいことを主張し、それをみんなで作り上げてきた結果、一番実行しやすいリーダーというポジションに自分の身を置いたのだと思います。

最後は、人の良いところを見つけるのが得意だったからです。基本的に平和主義で、いじめや仲間はずれは大嫌いなのですが、それぞれの得意不得意や、キャラクターで良いところを見つけるのが好きで、それを適切な役割やポジションに差配する、いわゆる仕切り屋さんだったのかもしれません。

ひょっとすると、これらの理由が社会においては、リーダーや経営者として自分が少しだけ向いていた所以(ゆえん)なのかもしれないなと思いながら本題に入りたいと思います。