「戦争という、人類特有の悲劇は、どのようにして始まったのか。戦争という、極めて非人間的な行為が、極めて人間的な事件として世界史に立ち現れるからくりにも、人間の本質が関わる。

同胞のために身命を賭けよ! というスローガン、戦争の場合には例外なく常に権力者の側から掲げられるこのスローガンが、人々の心を突き動かし、人々の手に、人々の、涙を拭ったその手に、容易に武器を握らせることができた、というからくりがある」と先に引いた拙文に書いた。

悲壮なる自己犠牲への情熱という、地上のどんな生き物よりも強烈に立ち現れる人間の魂の一面を、権力は、自己の保身と発展のため、実に巧みに利用してやまなかったし、今もその技量は磨き続けられている。

自己及び自己の仲間による寡占のための権力肥大化を求めてやまぬという貪欲を、戦争――武力戦争であれ経済戦争であれ、最近流行りのサイバー戦争であれ――によって満足させ得ることができるようになって以来、権力欲の奴隷となった者たち(権力欲への嗜癖症候群・依存症候群に陥った者たち、というべきかも知れない)が繰り広げるようになったこのからくり劇は、これまた、人類史の、近々一万年ほどの内に始まり、そうして、今も絶えることなく続いている。

このからくりの真因を探り、その知を、人類の未来に生かす試みは、繰り返し、何度でも行われてしかるべきである。

 

👉『邪馬臺国と神武天皇』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】自分が不倫をしているんだという自覚はほとんどなかった。

【注目記事】初産で死にかけた私――産褥弛緩を起こし分娩台で黒い布を顔に被され電気も消され5時間ほどそのままの状態に