退院して数ヶ月が経っていた。トマトは病み上がりの私にとって、味の記憶を蘇らせてくれたお店だ。放射線治療と抗がん剤の後遺症で、味があまりわからなかった。食事時間も1時間位掛かった。としゑさんは当時の私の話を時々、してくれる。

「この人、あんまり食べられないのにどうして毎日来るんだろう。毎日来るとおかずを変えないといけないからちょっと大変だったわ。しっかり出してもご飯もおかずも半分、味噌汁は汁だけ飲んで、残りのおかずはお持ち帰り、ご主人といつも来てたよね。それが1年は続いていたね。帰る時『明日もお願いします』って、私も毎日、習慣になっていたわ」

お店に来てもらうようになって1ヶ月程して、咽頭癌の手術の後で、食べる練習のために来てるんだと聞いて、柔らかくて刺激のないもの、魚のおかずを考えるのに苦労したと笑いながら話してくれた。

お肉では、ハンバーグを普通に食べることができた。2年位してトマトには、1人で行くことが多くなった。「これは食べられるんだ。これは無理だ」と分かるようになり、としゑさんもちょっと励みになってきたらしい。

その頃から又、フラも始めたが、手術の後遺症で左手が上がらなくなっていた。それも整骨院の先生にリハビリすれば上がると教えて頂き、今は何とか上がるようになった。今も時々行って昔話をしながら治療して頂いている、優しい先生だ。

ある冬の日、

「こんにちは」

「はーい、いらっしゃいませ。今日もいい天気で気持ち良かったね。この色綺麗でしょ」

「ほんとだ。この薔薇、薄紫とピンクと混ざって、こんな色ってないよね」

トマトの庭には、トマト畑の隣に薔薇のハウスがある。お店の玄関は、蔵の大きな引戸に田舎の懐かしさがあり、引戸を開けるとコーヒーの香りで、〝トマト〟のお店の匂いと感じながら、スリッパに履き替える。

壁にはとしゑさんが描いた、野菜の絵手紙がたくさん飾られている。特にトマトが多い。1階には出窓が二つあり、大きな6人用テーブルが二つと、庭側に向かって座る二人用カウンター、としゑさんが正面でコーヒーを入れる、1人用カウンターがある。

吹き抜けの階段で2階に上がると、大きな窓が二つあり、6人用テーブルと乳幼児が来ても安心して座ることが出来る、大きな座卓がある。そのすべてのテーブルとカウンターとトイレには、いつも庭に咲く季節の花が飾ってある。

週末には、「お花持って帰ってね」と言ってくれる。私の家の玄関にその花を飾るのが、楽しみになっていた。

 

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