露地に建つこの宿は位置的にパリのど真ん中である。手狭ながら安らぎの伝わる宿、私はすでにお気に入りになっていた。其の後永きに亘り、この宿は私のパリの基地になってくれる。
小さなレセプションには二人の女性が待っていた。一人はH嬢のパリ留学中の娘さん。もう一人の女性は私よりはるかに若い、リヨン在住の日本人のディーラーであった。
出発に際して話は聞いていなかった。この先のことなども全く想像は出来なかった。しかしリヨンにガイドが付くということで私は安心した。
宿は時代感が漂っていた。目の前はルーブル美術館。隣接するアーケード街に点在するレストラン。夜の11時も過ぎているのに賑わいは宵の口である。ディナーの予約をしていた様子であった。未だに忘れることが出来ないテーブルの上に並べられた、お皿にのせられた魚料理の姿。
パリの一流レストランのしつらえ。細長い魚をのし結びにして、蒸し上げたような調理法。ブイヨンが皿ににじみ出ている。ぶよぶよしていた。しみ付いた日本人の普通と、余りにもそれはかけはなれていた。
泳いでいるように、串刺しにして、こんがりとして、こげ目を付けた焼魚には程遠い。ああ、私は、これはもう駄目と、魚を口に運ぶことは出来なかった。成田を出発してから、ゆっくりと眠ったり好きなものを食べたりという記憶がない。
これから先は体力勝負になる予感。土地の風習にも慣れていく必要にも気付く。疲労と睡魔の極限。一瞬の挫折。空腹のまま部屋に戻り、今日一日はこれでお終いと思いきや、突然ベッドの上にあのリヨンのディーラーが、フランスアンティークの数々を並べた。
一瞬で、素敵だーとばかりに、この異常な展開にも素早い反応で心身は覚醒する。動物的反応でお好みのスプーンやピンブローチ等お気に入りをゲットして、午前二時頃にパリの初めての夜、ベッドの上での買付けは終わった。
成田を出発してから熟睡した記憶はない。H嬢の娘と三人で小さな一つのダブルベッドで丸まって寝た。天井を見上げると水洗用の水タンクと、そこに下る長いチェーン。当時はまだビデが備えつけられていた。見慣れない光景であった。最初の夜、異常ともいえるこの展開により三時間程の仮眠で早朝南仏リヨンに向かった。
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