【前回記事を読む】「オレALSなんだ」―この女性なら俺の病気のことをある程度理解してくれるかもと思い、振り絞って答えてみたが…
2 退化
芝浦② 2012年
ひょんなことから偶然出逢った私達は、その日を境に、毎日のように仕事終わりに逢うようになった。
アユは3週間後の舞台の稽古終わりに、私の家に訪れては、舞台の台本を私と読み合わせ稽古をする。
そして毎晩遅くまでどちらかが寝落ちするまで、好きな映画や漫画や本の話を沢山、私に話してくれていた。
彼女も私が今敏なんぞ知らないことは、勘づいていたのだろうか。かえって、この作品を一緒に見ようと教えてくれたり、聞いたことがない漫画を私に貸してくれたりと、気が付けば、お酒を飲みに出歩かない日の方が増えていっていた。
私の生活スタイルが徐々に変化していっていることを肌で感じる日々に、充実感を覚え始め、幾分か病気のことも忘れられる日々がそこにはあった。
彼女自体、気持ちの浮き沈みが激しく、不安定な時があるということをカミングアウトしてくれたことにより、お互いの距離は更に近づくことになり、そして、彼女も私の病気のことを理解した上で接してくれていた。しかし付き合うという形式を取ることはしなかった。
舞台本番10日前、アユから仕事終わりに、駅まで来てくれと連絡が入った。
今日でバイトを辞めるということは聞いていたが、私は若干不安でいた。メンタルが強くない彼女が無事に家まで帰ってこれるのか。
その不安は的中した。駅で待ち合わせした彼女は表情は暗く、ずっと俯いたまま立ち竦んでいた。
私は彼女の手を取り歩き始めた、私はバイトのことを聞くことができず、ダンマリを決めてしまっている。彼女の細い手が時折震えているのが分かる。私はなるべく彼女のペースで、ゆっくり歩くことを心掛けていた。
もう10月も半ば、すっかり秋めいた夜の運河沿い。スズムシの音色を聴きながら、私達は家路へと急いでいた。
その時、彼女はもう生きる価値がないと、急に運河へ飛び込もうと柵に足をかけ始めた。