彼女は、新宿にある芸能事務所の社員として働いていた。ちょうど自宅前から新宿行きの都バスが走っており、私の仕事場の近くにもバスが走っていた。今まで仕事や遊びに出掛けるのも山手線を利用していたが、28歳にして都バス通勤デビュー。電車でもそうだが、都バスだと更に密閉された空間で毎日同じ顔の人と出逢う。

毎日、後部座席で化粧をしているOL。

毎日、貧乏ゆすりをしてあからさまに機嫌が悪そうな中年。

毎日、同じバス停で乗ってくる南米出身であろう外国人。

とても新鮮だった。

「二人で住むなら広めの部屋にしようか」という、ごく自然な流れで同棲をすることになり、都バス通勤の快適さや面白さにハマった私は、お互いが変わりなく都バスで通勤できる場所を条件にしようと話し合い、少し南下した南麻布に決定した。

2011年3月に開催されたフットサル大会では、結局4チーム中3位で、なんとか最下位をのがれたものの、私の中では、優勝だろうがビリだろうが、どうでも良かった。

「いち早く家に帰り、冷静になりたい」

この今まで味わったことのない右脚の違和感を、冷静に考えたい気持ちで一杯だった。

ファミレスでの打ち上げも断り、一目散に帰宅。シャワーを浴び素っ裸になって、リビングのソファーに腰掛けながら、脚を伸ばして右脚を見つめる。

すると何もチカラを入れずに、無の状態にもかかわらず、右の足首が下向きにピクピク動いていて、逆に右足首に意識を集中させると止まった。

…… その日を境に、毎晩、右脚の脹脛(ふくらはぎ)がつるようになる。

…… その日を境に、走ることはおろかジョギングも出来なくなり、小走り程度にしか走れなくなる。

そして翌週、大きな揺れが東日本を襲った。