序文

私たちが東京の大使館で暮らしたこの度の日本在住は、十六年前に初めて太平洋を渡った時以来、この国が私にかけてきた「魔法」を強くするばかりであった。

満月に照らされた南太平洋のあの夏の宵は、なんと美しかったことか! 私たちはドーリック号の舳先(へさき)に座り、ウクレレの曲に合わせて歌いながら、燐光で輝く海を見つめていた。

毎朝繰り返し同じところで、太平洋の長いうねりでボートがゆっくりと上下した時にたてるシューという波の音を聞いていた。私たちはトビウオや飛び跳ねるイルカの群れや、青空を飛ぶ長くて白い尾羽の熱帯の鳥たちを見つめた。


※訳注:原文はthe Imperial Palace 第二次世界大戦までは宮城と呼ばれたが、昭和二十三年に宮城の名称は廃止され「皇居」と呼ばれるようになった。訳はこの時代の公称である宮城とした。

 

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