コンピューター業界も入社したころは、黎明期であり、毎年売り上げも右肩上がりでしたが、同時に新しい技術が日進月歩で開発され、新たにパーソナル・コンピューター(PC)が主流になってきました。マイクロソフト社が発表したWindows95というPC用オペレーション・ソフトの登場で一気に世界規模で普及を遂げ、それまでの既存業者を凌駕して行きました。
平成10年(1998年)には、わが社はそのPCメーカーに買収されました。多く知識を学んだ会社でしたが、翌年の1999年末に退社をすることにしました。20世紀最後の年で、象徴的な出来事でした。
二度の退社動機は、会社が買収されたことで、自分が目指す仕事をすることが難しくなったことが主な理由です。引き続き仕事をすることになりますが、今度は、外資系金融会社にお世話になりました。この会社では6年間の短い期間を過ごしました。
最初の2社はそれぞれ15年、次の会社で6年と合計36年間の会社員生活でした。
年齢は58歳になっていました。この年齢では再就職は難しいだろう。引退するには早すぎる年齢とは思いつつ、次の就職のことを逡巡していたところに「起業」の相談を持ち込まれました。
「予期せぬ出来事」が舞い込んできたことで、大いに悩みました。このまま無事に会社員としての生活を終了して、隠居生活を始めるか、人生最後の挑戦をするか、まずは独りで熟考しました。
そして、知人の税理士にも相談しましたが、当然の如く止められました。「すべてを失う覚悟はあるのか?」と。
これからの長い老後生活で何もかも失った場合の事を想像すれば、慰留されるのが当然です。
家族や親族からも当然の如く強く止められました。
しかし、人生一度のチャンスであることも間違いありません。
最初の出資金を限度とし、それ以上は家庭に負担をかけないことを条件に、最終的に了承を得ることができました。
事業の内容は、以前仕事をしていたコンピューター会社の製品関連のサービスを提供することに集中しました。市場の規模は大きくありませんが、競合相手が限定的で、大会社が参入しないニッチ市場を対象にしました。
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