「とは言え、まだ何も始めていませんので万策つきたわけではありません。ただ、ここで一つ承知しておいていただきたいのは……、仮に放射線で腫瘍が少し縮んだとすれば、一時的に症状が回復する事はあります。でも、やはりそれは一過性のもので、 必ずまた悪くなります。しかも、再発した時には、もっと悪い状態になっているという事もありえるわけで……、その場合、一切治療をしないという選択肢も考えなくてはいけなくなります」
「かと言って、何もしない方が楽で快適というわけではないですよね。だったら……」
「いいえ、薬を使った方が一層に苦しいという事、放射線をやったがために、より辛い思いをする事だってあります。それでいて、寿命は変わらないという事も……。つまり、副作用ばかりで効果が期待できない……と、いう事です。
だから、先ずはもっと詳しい検査と検討が必要です。そのために大事なのは、第一に本人が納得することです。小さな子供であれば親が判断しますが、お母様のように、自分で判断できる状態にある大人であれば、検査も治療も、やはり本人の意思でないと無理にはできません。
たとえ医者でも、この方法でいきましょう……と強制するのは、患者さんの人格という領分を侵すことになるからです」
「それでも、やはり先生方が最良と思われる事を強く勧めてあげてください。頼みます」
「これから病状が進めば、本人の判断力も失せてきますので、そうなった時に、ご家族がそのようなお考えであるなら、そのように承知しておきますが、ただ今の時点で、自分の病状が重篤であることを理解していながらも、ほとんど説明を聞くのを拒否されている状態ですから、何はともあれ、そこから一緒に考えていきましょう」
頼もしい励ましである……。しかし、心は既に悲鳴を上げ、思考すらをも放棄しようと混乱していた。母と共に“俎上(そじょう)の魚(うお)”となるよりほか詮無き事なのかと……。
その三日後、私の弱った心臓は射抜かれた。