「あなた、結婚しているのではないの」静かだが容赦のない訊き方だった。

「ええ……でも、今は……」典子は口ごもり両手を膝の上に重ねた。

「夫がここに来る事はもうないと思うわ。これまでも私がここに越した頃に、一度来ただけだわ」典子は淡い笑みを茉莉に向けた。

「それも、私が本当に一人で暮らしているのか、確かめに来たの」

「ふう~ん……そういう事なの」茉莉はしばらく典子を見つめた後に言った。「ところで、お父様はお元気?」

「ええ、元気にしているわ」と典子はほっと息を吐くように頬笑み、顔を上げた。

「会社を経営されていたわよね?」茉莉は首を傾げるように聞いた。

「ええ、会長に退いた今も、毎日会社に行っているようなの」と笑いながら言った。

「ゴルフもしなくなって、今はそれが健康法だとか。きっと煙たがられていると思うの」

「日本のオーナー経営者は大概そうよ、それがいい場合も多いわ」、茉莉はビジネス口調で言い、庭の方に目を向けた。しばらくして典子の方に顔を戻した。

「ここのバラは誰が?」 

「誰がって?」、典子は思わず聞き返しそうになったが、茉莉の目が何を問うているのかわかった。

「私が……」、おずおずと答えながら、茉莉の表情を窺った。

「あなたが!? あなたひとりで」 

「ええ、私ひとりで」

―― 茉莉が本当に驚いている―― 嬉しさを隠して言った。

「普段は私ひとりだけれど、人手がいる時だけ応援を頼むの。市のシルバー人材センターに」「ふう~ん」、茉莉は聞こえるほどにそう言うと、しばらく探るような眼差しを向けていたが、それ以上訊いてはこなかった。

典子は笑みを浮かべて言った。

「ここでは取り立ててする事は何もないの。薔薇に好きなだけ時間を取れるの。早起きの鳥さんぐらいに、庭に出て、一日が過ぎてしまう事もあるわ。まるで薔薇守りのようだと自分ながら思うの」

典子は、自分でも呆れているの、というような笑みを向けたが、茉莉は一瞬だけ、強く見張る目を上げると、無言のまま庭の方を見ていた。表情はわからなかった。

―― 茉莉はどう思っているのだろうか?―― 微かな不安が萌(きざ)した。

―― 薔薇にかまけるなど愚昧な事、話すほどもない―― とでも。

誓ったはず。

 

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