父は入浴後気持ち悪いといってそのまま意識を失った。

夫のため子供のため孫のため誠心誠意働いた母は、これから自分がやりたいことをたくさん語りながら父の死後3ヶ月あまりで後を追うようにして死んだ。

父88歳母78歳だった。父、母の死で私の心は大きな穴が空いたように空虚感で満たされた。次は自分の番かという覚悟を自覚させられた。そして、妻が54歳で闘病の末亡くなった。

「順番が違うだろう!」と号泣した。

多くのことをできる妻だったが、闘病中の短期間でできなくなっていった。介護の手を借りなければ生活できなくなるところまでになった。

看てるほうも辛い、本人の辛さを思うとさらに辛い! 妻の死により前方の明るく続く道が真っ暗に閉ざされたように感じた。

私は狼狽した。

必ず人は例外なく100%死ぬ。しかし次は自分の番かなと遠い未来に起きることとして触れたくない。切実なこととして考えたくなかった。

死への畏れから自分を遠ざけていた。しかし妻の死は私に死を間近に引き寄せた。これからやりたいこと、やれることを、夢を膨らませて語っていた妻の笑顔。その希望と願いがこのように断ち切られた。

愛する妻がいなくなった。自分もいつでも死んでよいと覚悟した。この悲しさ、寂しさ、よりどころがいなくなった心細さ。

今まで妻の存在が私の心のバランスを保っていたのだ。このバランスが崩れていく。どうしよう!

人は経験しなければわからないことがたくさんある。その中で身近の人の死もその一つだろう。妻が亡くなったのは6月20日。東日本大震災が起きた(3月11日)のと同じ年だった。

多くの人たちが死んだ。冬から春へ希望の4月に咲く桜をどんな気持ちで見たのだろうか。自分は桜咲く並木道を絶望的な気持ちで病院通いした。桜を見て辛い思いになることもあるのだ。そんな気持ちになった。

歌も歌いたくない、走る気にもならない。あまり熱心な信者ではないけれど妻の眠るお墓のお寺のご住職に相談に行った。高齢だけれどしっかりしたご住職だ。ご住職も奥さんに先立たれていた。同じ経験をされている人だからわかってくれるはずだ。

ご住職が言うことを聴いてみよう。滝に打たれなさい、座禅を組みなさいなど修行を勧められるなら何でもやるつもりでいた。