実のところ、作家漱石にもし師匠があったとするなら、この男以外にないと言っていいくらいだ。この文豪に漱石がどう食(くら)いついたかに多少の探りを入れ、しかるのちに漱石作品を読み直すならば、その人は、これまで日本語しか読まない学者によっては教えられることのなかった、まったく新しい漱石の面白さを発見するはずなのである。

この本は、そのような新しい面白さに出会いたい人のために書かれている。それに出会うには、両文豪の多方面にわたる関わりについて、多少とも学問的な探究に付き合っていただく必要があるにはあるけれど、だからといって、本書は専門的な知識を前提とするわけではない。

もちろん英語の知識も必要ない。調査・考察を楽しむことを通して、漱石の新しい面白さへの入門になればと、また専門家ではないので少々おこがましいことながら、漱石という橋を渡った先にシェイクスピアの世界に入りこむ門もまた開かれることになればと、心して書いたつもりである。

どうすれば、そんな器用な書き方ができるのか。その問いに一言で答えるのは難しいが、とりあえず、漱石その人が『文学評論』(一九〇五~七年講述、一〇年刊行)の「序言」で推奨している「批評的鑑賞(critico-appreciative)」の態度によるのだと申し上げておく。

すなわち、ある作品について「面白いです」と述べるのは「鑑賞的態度」だが、その「面白いといふ感じ」について「どうして」と突っ込まれた場合に、その根拠となる「事実」をもって「科学的」に応答するのが「批評的態度」だと漱石は説いている。

そして、この二つの態度を葉の両面のように表裏一体とするのが「批評的鑑賞」なのだ。