とはいえ、私は『万葉集』の中でこの歌が最も好きな歌の一つであり、特に新春にふさわしい歌なので、時々年賀状に書き添えることもある。

志貴皇子は天智天皇の第七皇子である。天智から持統朝の時代にかけては、有馬皇子や大津皇子のように権力争いに巻き込まれて殺されてしまう事件が多く、皇子に生まれても決して生きやすい時代ではなかった。

そのなかで、志貴皇子は権力争いから一歩身を引き、上手に世の中を渡ることができて長生きした皇子である。皇統は天智系から天武系に移り時代を経たが、奈良時代末期の七七〇年称徳女帝が崩じたとき、天武系の皇統が絶えてしまった。

このとき、志貴皇子の皇子で白壁王という老境にさしかかった皇子が即位(光仁天皇)し、天智系が復活した。

志貴皇子はすでに五十年以上前に崩じていたが、「田原天皇」と贈名されるようになった。以後も皇位は天智の系譜が引き継ぎ、現在の今上天皇も志貴皇子の男系子孫にあたる。

葦(あし)辺(へ)行く鴨の羽がひに霜降りて寒き夕(ゆふへ)は大和し思ほゆ

(枯葦のそばの水面を行く鴨の羽がいに霜が置いて、寒さが身に沁みる夕暮は、とりわけ大和の都に残してきた妻のことが思われる)

七〇六年文武天皇が難波の宮へ行幸した際に、お供したときの歌である。難波宮は寂しい海辺の葦そよぐ所にある。厳しい寒さと静けさの中での独り寝で、暗くなるにつけ妻への思いがつのるばかりである。

「羽がい」とは羽が重なり合って交わるところで、そんな隠れたところに降(お)りた霜まで見えるのかと訝ってしまうが、志貴皇子の研ぎ澄まされた詩心は、その細部に輝くきらきらした霜までも捉えるのであった。

『万葉集』収載歌は六首のみであるが、皇子の歌には清冽な気品があり、『万葉集』を代表する歌人の一人に数えられている。

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