【前回記事を読む】えっ? 息が止まるほど驚いた。今日のあの不思議な御方が私の婚約者だったなんて…私に声もかけて下さらなかった。

Ⅰ 少女

第1章 春

イザベラは慌てて目を伏せ、テーブルに着くと本を開けた。

その時、隣のテーブルのジョヴァンニがステファノに向かって声高に言った。

「フランチェスコさん、あんな所にいるよ。本にしか関心が無いんだね」

「あの本は、この図書館にしか無いから。だからここへ来るんだよ」

とステファノがぼそっと言った。無口なステファノが声を出したので、イザベラは驚いて顔を挙げ、ステファノを見た。

その時、部屋の隅からフランチェスコがこちらに向かって走ってくるのが見えた。フランチェスコは目を大きく見開き、上半身を固くして、幼子の様に前のめりになりながら走ってきた。そこには、この前の、あの剛毅な面構えは無かった。

イザベラは、これが当代随一の武勇で知られるあのマントヴァ侯なのかと我が目を疑った。

イザベラとジョヴァンニの席は背中合わせになっていたが、走ってきたフランチェスコは二人の間にやって来て、背後からジョヴァンニに話しかけた。

イザベラは辞書を取りに行きたかったが、自分の椅子の背もたれのすぐ後ろにフランチェスコが立っているので暫くためらった。しかし、いつまで待ってもフランチェスコが立ち去らないので、遂に意を決して立ち上がった。

フランチェスコは狼狽し、一瞬、椅子と椅子の間から足を抜こうと試みたが、結局そこに踏みとどまった。

イザベラは、小さな声で、

「すみません」

と言って、静かにラテン語の辞書を取りに行った。