2-7.「比較対象は自分」という安全圏
周りとの比較。これはありとあらゆる場面で発生する。私たちは、死ぬまで、他人と自分を比べ続けて生きるのだ。あなたの不安はそこに端を発しているのではないだろうか?
現代では、さらに比べる対象が拡大していく。日本中、下手をすると世界中の恵まれた人、そしてその恵まれた人が取り繕った虚構が簡単に目に入ってくる。私たちは、その虚構と自らの現状を比較して打ちひしがれてしまう。
あんなキラキラした生活は、表向きの偽物だ、と頭では理解できるだろう。しかし、実際にSNSなどで目にすれば、「世間のみんなは幸せそう」と卑屈になってしまうものなのだ。
そんなことではいけない。
あなたの幸福は、あなたにしか作り出せない。他人と比較して得る幸福など、本物ではない。そして、こんな過酷な時代でも、承認欲求や自己肯定感が得られるものがある。
それは筋肉だ。
筋トレすれば、常に成果として得た筋肉を身にまとうことができる。つまり筋トレは、承認欲求や自己肯定感が得られやすい手段だ。
本来の、筋トレの根源的な比較対象は、過去の自分である。そして、年齢とともに本来訪れる衰えや老いなのだ。
多くの趣味は、圧倒的な他者の才能と自らの才能を比較してしまい、打ちのめされる。時が経ち、老いによる衰えとともに引退がちらつき、心から楽しめなくなる。しかし、筋トレは、比較しての消沈、老いでの落ち込み、これらが少ない。音楽や芸術のように年齢を重ねても、楽しみ続けられる趣味なのだ。
老若男女問わず、やっておいて損はない、それが筋トレという趣味なのだ。単なるスポーツではなく、自らの身体を彫刻するという芸術性、自らと対話するという哲学性、全てを含んだ趣味以上の趣味、それが筋トレだ。