1 旅の始まり・ローマ

写真を拡大 ラ・ストルタに通じる道に並ぶローマの松並木
写真を拡大 コロナ禍で人一人いないスペイン階段
 

コロナ禍が最も苛烈を極めた2020年が明け、翌2021年1月、ローマはまだロックダウン下にあった。学校はオンライン、店の多くは閉鎖または出入りを制限され、街からは人が消えていた。

人々は、通勤や買い物、運動、ペットの散歩以外の外出は極力控え、できる限り他人との接触を避けていた。通常なら多くの人で賑わうスペイン広場、パンテオン、コロッセオといった名だたる観光地にも人影はなく、当時はこのような異様な光景が日常となっていた。

サン・ピエトロ広場

当時イタリアでは、新型コロナ感染予防のため、人々が多数集まる行事の開催は禁止されていた。バチカンにおいても、儀式の規模は大幅に縮小され、前年の復活祭ですら、第266代教皇フランチェスコがこの広場においてたった1人で執り行ったのだった。

筆者がフランチジェナ街道を歩き始めたのは、このような時期であった。運動のため外出することは許可されており、実際、人との接触を避けて外を歩くことは感染リスクが低かったが、この日のサン・ピエトロ広場には誰もおらず、寂しさが募るばかりであった。

また本来、フランチジェナ街道はローマを目指すもので、ここサン・ピエトロ大聖堂こそが巡礼者の目的地なのだが、ローマ在勤の筆者は、逆にここからスタートし巡礼者の復路を巡ることとした。

写真を拡大 誰もいないサン・ピエトロ広場。楕円形に建てられた左右の回廊は、あたかも広場の信者達を腕に抱くような設計で、その上には140体の聖人像が並ぶ。 中央のオベリスクは、エジプトのアレクサンドリアから紀元40年頃にローマへ運ばれ、16世紀後半にここに移設されたものである。

モンテ・マリオの丘

まずはサン・ピエトロ大聖堂の裏手に向かい、高台の高級住宅街であるモンテ・マリオの丘を上る。ここは観光客にはあまり知られていないが、

ローマ全体を一望の下に見渡せる絶好の場所である。坂の途中にある絶景ポイントからは、ローマのチェントロ(Centro:中心部)と弧を描きながら悠然と流れゆくテヴェレ川が一望できる。

 

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