八月十八日、あいかわらず暑かった。

文子の発言で、ナンデモ研究会が始まった。

「前の研究会で、いくつか疑問点があったよね。ちょっと整理しない?」

文子は、学校ではいつも静かにしているが、研究会では別人のようになる。

「一つは、かたいヒスイを、どうやって加工したのか?」悟が答えると、研一もノートを開きながら目を上げた。

「古事記(こじき)の神話やヌナカワヒメの伝説は、本当にあったことなのか? それはいつの時代か?」

悟が話しはじめた。

「ヒスイの加工だけど、砥石(といし)みたいな石でけずって、形をつくって、みがいたみたい。

穴はキリみたいな道具と研磨剤(けんまざい)を使ったみたいだよ」

「ねえ、ヒスイはどうやって全国に運ばれたのかしら?」文子が首をかしげた。

「丸木舟(まるきぶね)を使ったりしたんだろうね。ニュースで見たことがあるよ。縄文時代(じょうもんじだい)の丸木舟(まるきぶね)はけっこう発見されていて、広い範囲(はんい)で物流が行われていたみたいだね」

悟が言うと、

「運ぶ専門の人たちが、いたんじゃないかな」研一が一つの仮説を述べた。

「そういえば、縄文展(じょうもんてん)で、貝の腕輪(うでわ)があったよね。南の海でしかとれない貝がらが、内陸奥深(おくふか)くの遺跡(いせき)でも出てるのよね」波奈が話すと、文子がまとめた。

「いろいろな物が、海や川や陸の道を通って、日本中に運ばれているのね。それも一万年も前から」