一、

風がでてきたようだ。

築50年を経過した、わが家のガラス窓が、カタカタとふるえている。

私は、ベッドのなかで、眠りに落ちながら、そのふるえを聞いていた。

私の肩をたたく者がいる。

たたくというより、こづくである。

悪い夢をみていると思い、そのまま眠ろうとした。

また、こづいてきた。

私は、2年前、妻に先立たれた92歳、一人暮らしの翁(おきな)である。まわりに、こづくような人はいない。こづくなら夢でしかない。

最近は、体のあちこちが、わけもわからず痛む。

肩をさすって眠ろうとした。

ところが、またまた、こづいてきた。

この瞬間、心筋梗塞(しんきんこうそく)(心臓の危険な病気)を思いだした。

いよいよ来たかと、腹を決めて、目をさまし、時計をみた。

針は午前4時24分をさしている。

なんとなく、予感があたったような時刻である。

私は、10年ほど前に、心筋梗塞という死魔から逃れた、にがい経験をもっている。その症状は、真っ先に、肩にきた。いつものように歩いていると、突然、重いものが、肩にのしかかり、息が苦しくなった。

はじめのころは、深呼吸をくりかえしているうちに症状は消えた。

歩き疲れのせいだろうと軽く考えていた。

ところが、ひんぱんに、症状がでるようになり、診察を受けることにした。緊急の手配で、心臓にステントを挿入する手術を受けることになった。

83歳の夏のことである。

それから、死を覚悟するようになっている。

いつも、頭にあるのは、ぶざまな死に方だけは避けたい、ピンピンコロリで願いたい、であった。

現実の死を怖れながら、未知の死を期待する、妙な心境であった。再三の、こづかれた肩たたきに、心筋梗塞のにがい思い出が、噴きだし、目をさましたのであった。