母親は辰吉を睨みつけた。
「橋銭は橋銭だ。親だろうと童子だろうと渡るときはきっちり払ってもらう。これがおれらの仁義だぜ。しかもこう寒くちゃ商売の稼ぎも上がらねぇ。冬場は割り増し稼ぎを取らねえとやってらんねえぜ。このご時世、金にならねえこと誰がやるかよ」
辰吉は寒そうに背中を丸めた。
「この人でなし!」
母親は血相を変えて怒りをあらわにした。
すると、さくらはおぼつかない足取りで、橋の欄干を手で辿りながら歩きだした。目つきは宙を仰ぎ見ながら前へ歩を進めている。
どうも目が、不自由らしい。周囲の商人や町人たちは憐れみの目で見ていたが、ごろつきの権藤一味の連中には手が出せない。そんな雰囲気が場を覆っていた。
「そうかい、橋銭を払う気がねえのなら、童子でも下の川を通ってもらうかあー」
辰吉がさくらに手を伸ばした瞬間、二人の間を黒い大きな塊が『どん』と遮(さえぎ)った。
──濡れ鴉の男であった。
男は二人の間に割って入り、四つん這いになってうずくまり頭を下げた。
「勘弁してやっておくんなせい」
深めの三度笠の中から低い声が漏れた。
一瞬、辰吉は細い目をカッと見開き、体を後ろに仰け反らせた。
「な、な、なんでえ、こいつは!」
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