「内緒や……」そう言って夕子は、「来年の春が楽しみや」と片目を瞑った。椅子はなかなか届かなかった。
夕子は、娘婿の山田が忙しいのか、それとも、なんでぼくが運ばなあかんのや、とすねているのかもしれないな、とおもっているうちに、大紅しだれ桜の紅葉はほとんど葉を落としてしまった。
それでもわずかに残った葉の緋は格別だった。
(椅子は来年か? それならそれでええ)とおもい始めたが諦めきれずに、
「あんはんは、ウチに来るんがいやなんか?」
夕子は独り言を呟いたら翌日、
「こんとこ、仕事が混んでましてな、遅くなってすまんことです」
山田は椅子を担ぎ、やや薄くなりかけた頭を掻きながら母屋の玄関に立っていた。
「おおきに……」
夕子は少し左に顔を向けて彼女が特別に美しく見える横顔を見せて言った。
「どこに置きはりますか? ついでやさかい運びまっせ」
「桜の園の大紅しだれ桜の下なんやけど……すまんことですなあ」
「なあに、おやすいことやさかい」
山田は椅子を担ぎ直すと、母屋の横を抜けて桜の園のほうへ行ってしまった。
次回更新は4月2日(水)、22時の予定です。
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