学校生活の多くが戦争の色に染まり、部活動も多くが廃部か休部になってしまっていた。特に文化系はいち早く処分された。体育系はそうしたことは少なかったが、コートや弓場を野菜畑にされたテニス部、弓道部は休部状態だった。
音楽部や合唱部は、音感を育てられる、という理由で存続がゆるされていたし、音楽の授業も減らされることがなかった。音感がいいと音で敵機の機種を判別できたりして、戦争に役立つからだった。
部長の佐伯(さえき)さんはサエさんと呼ばれていたが、三年生は特別な愛称で呼ばれている。副部長の杉原(すぎはら)さんはスギさん、アルトのリーダーの大原(おおはら)さんはオオさん。ピアノの大友(おおとも)さんはトモさんだったが、この愛称が呼ばれるたびに朋は自分のことか、とドキッとした。だから、ある日の帰り道で朋は聞いてみた。
「どうして三年生は苗字の二文字で呼ばれるの?」
「ああ、あれは合唱部の伝統なの。三年生に特別の敬意をはらうためのね」
とヤッチンが教えてくれた。
「そうすると、私たちが三年生になったら、私はクリさんで、シズちゃんはイダさんのままで、ヤッチンはイワさんになるのね」
「まぁ、イワさんなんて、四谷怪談のお岩(いわ)さんみたいで嫌だわ。私たちが三年生になったら苗字の二文字はやめて、名前の二文字にしたいの。いま私たちが呼び合っているように、シズちゃんやトモちゃんてね!」
「自分の呼ばれ方が変だから変えるの?」
「名前の方が親しみがあっていいじゃない。トモちゃんもそう思わない?」