夕子は朝から峠を越えて市内まで降り、「神泉苑」のお札をもらってきて盆棚の背後の縄紐にすだれを吊して貼った。本当は弘法大師像や先祖代々の位牌を飾るのだが、ウチは位牌が多すぎて止めた。「神泉苑」は弘法大師が雨乞いをした所として有名だから、本当はすだれにお札と一緒に貼りたかったが、掛け軸を用意するのをうっかり忘れていたのだ。

しかしよくよく考えると、雨は五山の送り火が終わってからのほうがええ、と勝手なことを考えている夕子だ。五山の送り火を世話している人の苦労がテレビ放映でわかったし、せっかく作った盆棚が、一天にわかにかき曇り雨が降り出しては、困る。びしょびしょの盆棚は、悠輔も居心地が悪いだろう、きっと。

「へぇー、七夕みたい」

夕方、迎え火をたきにやってきた桜子は言った。

「もともと盆棚と七夕はルーツが同じなんえ」と夕子。

悠輔が生きていたころは仏壇が主体の盆棚まがいであったから娘は知らないのだ。麻美は物珍しいらしく、「素敵、ジイジはどこえ?」と訊いてくる。

麻美は悠輔が帰ってくると聞かされて周りを見回している。まだ、悠輔の死を理解できないのかもしれない。夕子も同じだ。毎朝毎日、そばで彼を感じ続けている。

大紅しだれ桜の樹の下の盆棚に灯明が点った。それから夕子が好きな菩提寺の声明 (しょうみょう)をテープで流した。夕子は、送り火は五山の送り火があるからしないつもりだ。その代わり、迎え火は盛大にしよう。悠輔が迷わないように……。

やがて、夕子は迎え火の煙の中に悠輔の影をうっすらと感じた。

五山の送り火がすんで二日後、降り出した雨は二日間続いた。

そして一週間後、葉をふるった大紅しだれ桜の枝に新芽が認められた。

 

次回更新は4月1日(火)、22時の予定です。

 

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