〈田舎の両親に病気の報告をしなければ、俺の行く末の相談もしなければ〉知之は、涙をぬぐうこともせず、ぼんやりと久しぶりに帰省する故郷を思い浮かべていた。重くて苦しい時間が流れていく。知之は壁のチラシに目をやった。
〈何をやってるんだ俺は。俺には何としても試飲会を成功さる責任と義務があるじゃないか!〉近づいてきた試飲会に心を移した知之は、意思のみなぎる表情に変わった。
雲一つない広大な空が広がっている。いよいよその日が来たのだ。メンバーはそれぞれの持ち場で待機している。車椅子も用意した。
開始時刻の10時少し前、高齢の夫婦がやって来た。それから男性のグループやカップル、女性のグループもやって来た。若い年齢層が多いのが驚きであり、妙に新鮮であった。飲み比べる人々の表情を見て、安堵と確かな手ごたえを感じる知之。
五銘柄の日本酒が好評であることは、720ml瓶がよく売れていることでわかる。出店の前にも人垣ができている。おつまみの大阪らしさが受けているようだ。
午後2時を回ると、やって来る人の数が落ち着いてきた。知之は持ち場を回りメンバーにねぎらいの言葉をかけている。会場の入り口にたどり着いた時、三人の男女が手を振って近づいてくるのが見えた。なんと邦夫と咲ではないか。そして史もいる!
「おう知、どんな具合だ? 盛況か?」
「大盛況だ! 喜んでくれ」
知之の晴れ晴れとした表情と力強い言葉に、午後のゆるやかな陽光がさらに輝いて差し込むようであった。
試飲会を成功させた知之は、故郷に向かっている。飛行機が松山空港に着陸した。ゆっくりと滑走路を進む機体の窓から見る空港ビルがなんとも懐かしい。