【前回の記事を読む】「好きな人ができたの」二年間付き合った彼女から衝撃の告白。相手はまさかの…同じ職場のあの人!?
決意
カフェを出た僕は、まだ少し冷たい春の夜風を感じながら、駅へと歩き始めた。
高熱があるみたいに頭は重く、全身がずぶ濡れになったように一歩進めるのに何倍もの労力を要した。
僕と風香は六年前に『関西ハウス販売』に同期で入社した。不動産の営業といえば男性をイメージする人が多いが、最近は女性も増えてきている。おそらく何年か前に流行った、女性が家を売るドラマの影響だろう。
僕と風香の趣味は正反対だった。僕は本を読むのが好きで、彼女はテニスをしたり、アクティブに体を動かすことが好きだった。二人で話し合い、「それじゃあ、週替わりでお互いの趣味に合わせよう」ということになった。
はじめの頃は戸惑いもあったが、相手の趣味に合わせると、今までにない刺激があって気が付いたら楽しくなっていた。
僕の趣味に合わせる日は、二人で梅田にあるカフェに行き、僕はいろんな小説を読んで、風香は営業に関する書籍を読んだ。休みの日も風香の頭の中は仕事のことでいっぱいだった。
ある時、「休みの日まで仕事の本を読んで疲れないの?」と僕が聞いたら、「私にとってはこれが休んでるの」と風香は平然と答えた。
だいたい二時間くらい本を読んだあとは、お互いに読んだ内容を共有するのが習慣になっていた。僕はこのミステリ小説のトリックの巧みさや、主人公が体験した辛い境遇に共感したことを熱っぽく語り、彼女は新しく学んだ営業手法を僕にわかりやすく伝えてくれた。
今思えば、僕に小説じゃなくてもっと仕事に熱を入れてほしいという彼女なりのアピールだったのかもしれない。あるいはなかなか売れない僕に営業スキルを嫌みなく教えてくれていたのかもしれない。どちらも合っているような気がして、僕はますます涙が溢れてきた。
―こんな終わり方ってあるのか。あんまりじゃないか。いきなり過ぎるだろ。
いいや、風香は僕に言っていなかっただけで、ずっと我慢していたのだろう。ああ見えて意外と我慢する性格だからな。僕が変わることを期待していたんだ。なのに僕は、風香の優しさにずっと甘えていたんだ。自分に怒りがどんどん込み上がってくる。
「あ゛ぁぁあ!!」
僕は周囲の目も気にせず、言葉にならない感情を吐き出した。それもけっこうな大きな声で。
街行くひとたちが僕から距離をあけ、ヒソヒソ話しているのも気にならなかった。むしろ離れていてくれ。止めにでも入られたらこの感情をぶつけてしまいそうだ。
―見返してやる。風香に認められるような男になってやる。立花さんが営業成績トップだというなら、僕はあいつよりも売ってやる。そして風香を奪い返してやるんだ!
僕は踵を返し、駅とは反対方向にある伊ノ国屋書店へと向かった。営業について徹底的に勉強して、トップ営業マンになってやる。不動産会社は火曜と水曜が休みで、今日は月曜日だ。
―この休みはどこにも出かけず、営業について徹底的に勉強しよう!
入口のすぐ横にあるエスカレーターを昇り、四階のビジネス書コーナーに行くと、人気ユーチューバーや有名タレントの書籍が数多く陳列されていた。そんな本には目もくれず、僕はその階の奥にある営業のコーナーに急いだ。
そこですぐに成果が出そうな本を三冊選び、迷わずにカゴに入れた。その中には風香が前におすすめしてくれた営業本も含まれていた。