【前回の記事を読む】【あの世がないとしたら、私たちはいかに生きるか】生きがいとは? 生きる価値って? 哲学と科学の知見が導く、超実践的人生入門!
1.もしあの世がないとしたら、生きる価値はどのようになるか
1.2 生きる価値に向けて
死んでしまったら無価値の世界
だからこそ、いかに生きるかが問われている
津村:あえて極端な例を挙げて大事な部分を説明しましょう。例えば、ある大きな国の独裁者が、核爆弾を用いて敵国を攻撃し、敵国も反撃し、人類が完全に滅びたとしても、その時死んだ独裁者は死んだのでなにも感じないし、被害にあって死んだすべての人々も死んだのでなにも感じないです。
たぶん大きな隕石で恐竜が滅んだように、核爆弾で人類が滅んで、その中を生き延びた別の生き物が命をつないでいくのかと思います。
核爆弾ですべての命が滅んでしまったら、まず放射能汚染がある程度おさまってから、一から生命を生み出すことになるかもしれません。他に、放射能のもとでも生きる新たな生命などが出てくるかもしれません。
何億年というレベルで待たないといけないかもしれませんが、手塚治虫先生の『火の鳥』でこの世界観は描かれています。(参考図書2)
学生:なんだか急にスケールがとんでもなく大きくなりましたね。死んだらなにも感じないとしたら確かにそうなりますが、先生の思想では生きているときになにをやってもOKみたいな、なんだか危険な感じがします。
津村:思想というか、〝もしあの世がないとしたら〟として論理的に考えているつもりなのですが。確かに、死んでしまったら、自分に関係ないという考え方は、この世でなにをやってもよいみたいな考え方になるので、不安を感じるのはわかります。
そういった本能的に不安に感じる中で、〝死んでしまったら無価値の世界で、生きているときに、私たちはいかに生きるかを過酷にも問われている〟と私は思います。
急な話に感じるかもしれませんが、一歩一歩論理的に説明していくことで少しずつ私の立ち位置を理解してもらえると思います。
学生:死んでしまったら無価値の世の中で、いかに生きるかなんて、答えは出ないですよね。
津村:答えは出ないですけど、いかに生きるかを考える余裕があるなら、考えてみてもいいと思います。世の中には生きることに精一杯で、いかに生きるかを考える余裕もない人々も多いことを忘れないでね。
学生:親のおかげで生きることに精一杯というわけでもない状態なので、いかに生きるかを考えてみたい気がしますが、答えのない中で答えるというのは不安です。
津村:答えのない問題なので、思考実験みたいな感じにどうしてもなりますよ。それでも考えたいですか?
学生:なんだか怖いけど、ぜひ考えたいです。