母はそこで知り合った軍の上層部の軍人とお付き合いをしていた。
そして、子供を身籠った。
その男性は、陸軍の要職に就いていた。戦争が激しくなったので自宅にはあまり寄らなくなった。
間もなく子供が生まれるので、下京区の自宅では手狭となり、祖父とT叔母が探してきた中京区檜町の新築二階建ての借家に引っ越しすることになった。
新しい家は、部屋数も多くゆったりとしていて家族全員が気に入った。
そのとき、私は間もなく小学校一年生になろうとしていた。
一方、戦争は次第に激しくなっていった。
四、初対面は自分から進んで挨拶せよ
一九四三(昭和一八)年の四月。
私は、京都の朱雀第七国民学校一年生(小学校)に入学した。
戦時中は、男女共学ではなく、男は男、女は女の子ばかりのクラスだった。
当時の男子小学生は、全て兵隊と同じように丸刈りにされていた。
そして、すぐに大きくなると言われ、ひとまわり大きな帽子と服を着せられ母に連れられて入学式に出席した。すごくかっこ悪く恥ずかしく思った。
式も終わり先生に教室へ案内され一年一組の教室と自分の席を覚えた。
前日の夜、祖父から教えられていた。
「正夫。学校に行ったら一番にお友達を作りなさい。作り方は、回りの同級生にお前から話しかけて明るく挨拶をすることです。そうすればすぐにお友達ができるから」
とアドバイスされた。
笑顔と挨拶は、人と仲良くする秘訣だと教えてくれた。
「おじいちゃん。分かった。僕、そうする」
と返事をした。