周囲にはその身の上を気の毒がる者もいましたが、しかし彼はおのが身の被った災いをことさらに嘆く様子もなく、むしろおのが得意とする笛の技で世過ぎができることを幸いなことにさえ思いながら、慎ましく日々を送っていました。その笛の抜きん出た技量から、誰言うともなく、彼は「笛吹き宗佐」の異名で呼ばれていました。
新しい世が始まったとはいえ、人心が落ち着くにはまだ日が浅く、周囲には戦乱の名残が様々な形で残っていました。攻め滅ぼされた武将やその一族のたどった傷ましい運命が人々の間で噂され、この世に恨みや未練を残して逝った者たちの亡霊譚が、まことしやかに語られていました。
恒龍寺の裏手にも、そうした人々の墓や卒塔婆が、苔むす暇もなくあちらこちらに立ち並んでいました。
この奇譚が生じた元和六(一六二〇)年、宗佐は齢二十、六尺近い体躯に凛々しい顔立ち、聡明にして優しい気性の若者に成長していました。
二 瑠璃の笛
それは暑くもなく寒くもない、大気の心地良く澄んだ、五月半ばの宵のことでした。小僧や寺男たちといつもの質素な夕餉を済ませて宗佐が住まい居宅に戻ろうとすると、庫裡の戸口まで彼を送りに出た小僧の黙念が空を仰ぎながら感慨深げに語りかけました。
「ああ宗佐殿、今宵は良い月が出ております。かほど見事な月は、久しく見なかったような気がいたします」
宗佐は居宅住まいの縁側にあぐらをかいて座り、周囲の木立の放つみずみずしい若葉の香りを味わいながら、先ほどの黙念の言葉を思い出していました。
まだ目が開いていた頃に眺めた満月の姿を思い起こして空を仰ぐと、宗佐は煌々と降り注ぐ銀色の光を全身に浴びているような心地がしました。興を覚えた宗佐は床の間から笛を取り、その時の思いにかなった『昴に捧ぐ』をおもむろに吹き始めました。
まるで人の魂に語り掛けるかのような、その深く澄んだ調べは周囲に朗々と響き渡り、夜空に輝く満月さえもが聴き入っているかのようでした。
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