1 ある事件

「あ、そういえば……」

チョコレートを渡し終えた結城さんは、思いついた様子で話題を変えた。

「あずみちゃん。ここへ来るときに中央処置室のほうが騒がしくなかった?」

中央処置室とは、救急外来患者が運ばれて処置や検査をするところだ。M医科大学病院では救命救急センターと隣接している。

「ああ……急患が入ったみたいですね。事故か何かですか?」

結城さんも急患が運ばれたことは知っているらしい。結城さんが知っているくらいだから、よっぽど大きな事故か何かがあったのだろうか……。

「事故っていうよりも……刃物を振り回してけがをした人が運ばれたらしいのよ」

「ええっ?」

そんな物騒な事件が起こったとは知らなかった。あずみの心臓が早く打ちだした。

「もしかして……それって、殺人事件ってことですか?」

けがをしたというのなら亡くなってはいないようだから、それなら殺人未遂事件か。

「う~ん。殺人事件っていうより、どちらかというと男女関係のもつれ、のようなことじゃないかしら……?」

「男女関係のもつれ……」

「ええ、運ばれたのは男女のカップルらしいから」

あずみは思わず、その運ばれた男女というのと、先ほどの真琴の深刻な表情がリンクした。もしかして、その男女のカップルは真琴の知り合いなのか……?

「中央処置室のほうは物騒だから、一応、今日は反対方面から回って帰りなさいね」

中央処置室を通り過ぎて病院の事務所側に回ると、来たときと同じで大学側の駐車場に抜けることができる。いつもならそこを通って大学に戻っていた。一般の見舞客や外来患者は通れないようになっているが、学生などは関係者ということで大学と病院を往復するのによく利用していた。

「あ……はい」

結城さんは騒動を知っていて、中央処置室のほうはまだ騒がしいだろうから、正面玄関から回り道をして帰りなさいねと言ってくれているのだ。

真琴の姿を見掛ける前だったら、素直に結城さんのアドバイスに従っていたが、今となっては、あずみはそれどころではなくなってきた。

半分、上の空で返事を返して、あずみは眼科を辞した。先ほどの真琴の深刻な様子から、けがをしたのは真琴に関係のある人物の可能性が高い。自分から呼び出しておきながら、連絡もせず約束をすっぽかしてしまった理由がうなずける。

外科に寄って様子を聞いてみよう……。あずみは結城さんのアドバイスはありがたいと思ったが、とりあえず外科のフロアに寄ってみようと思った。

外科に到着すると、先ほどのざわざわした雰囲気はすでに感じられない。患者の待合いスペースに真琴の姿も見当たらない。ボブの女性の姿も見掛けなかった。