現地適応の過渡期には、親と子のふれあいといった生易しいものではなくなる。お互いぎりぎりの感情のぶつかり合いになるので、親がどうもがいても一気に解決というわけにはいかない。

現地に適応するには結局のところ時間が必要なわけで、親のできることといったら、その時間を早めるために手を打つことと、過渡期をできるだけ平穏に乗り切る方法を講じること、この二つしかない。子どもが現地適応するのに最も必要なのは友達を作ることだ。

アメリカでは友達と遊ぶにも親の介添えが必要だ(相手の親の許可を取るとか、車で送り迎えすることなど)。この点息子達の要求に積極的に応じることで、友達作りに大いに効果があったと思う。

また、国際電話で日本にいる元クラスメイトと自由に話をさせるとか、家族揃って毎週外食に出るとか、息子達の好きな映画を見に行くなど、息子達のニーズに積極的に応じることで、彼らのストレス解消に役立ったと思う。

今でも兄弟げんかはあるが、表情はずっと明るくなり、一年前の状態が噓のよう。この頃は友達と遊ぶ約束も自分で全部やり、泊まりに行ったり来させたり、楽しく遊び回っている。どうやらうまく適応しているようだ。

今まで息子達のために相当時間を使ってきたのだから、これからは親の楽しみのために、少し時間を使えるようにしようと考えている。

息子の感想:(長男)来た当時は辛かったが、今はアメリカに来て良かったと思う。(次男)やっぱり日本に帰りたい。おじいさん、おばあさん、いとこ達もいるし……。

スランバー・パーティーもよく行っていました。息子達が友達の家に寝泊まりしたり、これらの友人が寝袋持参で我が家に泊まったりすることです。よその家庭を見たり、友達の両親と接したりできる機会は日本では少なく、息子達の成長にとても役立ったと感じています。

事実、次男の小学校1年生からのバディ(buddy)とは生涯の友達になりました。次男と一緒に日本にも2度訪れ、彼の一家とは次男のアメリカンファミリーになりました。

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