第1章 帰国、介護生活と再出発

しつけ無用論(いじめと体罰) ―1988年4月13日

賞と罰、アメとムチで自分より弱い者をコントロールしようとする「しつけ」にいいことはありません。幼児教育の専門家である、今は亡き平井信義先生の持論です。

私が携わった親業(おやぎょう)、トマス・ゴードン博士のPET(親業訓練講座)では、親のあるべき姿について具体的な方法論を学びました。

子どもを一人の人間としてとらえ、「ウィン・ウィン(親と子が双方とも満足する)」の関係が保たれるような方法を探ろうとするものです。

昔からこうも言われています。「親の言う通りにはしないが、親のする通りにする」「子どもは親の後ろ姿を見て学ぶ」。「親業は自分業」ということになります。親業は子どもとの「心の架け橋づくり」なのです。

サンフランシスコ郊外に住み、息子達を日本語補習校に通わせていた頃、一か月もたたないうちに「もう補習校には通わない」と言われ、困ったけれど少しほっとした経験があります。

長男の友人が水の入ったバケツを持たされ、廊下に立たされていたというのです。また、小学校では罰として居残りさせられ、漢字をそれぞれ百回ずつ書くように言われたそうです。

アメリカの中学校の作文でそれを書いたら「本当か?」と驚かれA+の評価をもらいました。また、こんなこともありました。幼稚園では、飲み込んだスイカの種から芽が出てくると教えられ、すっかりスイカ嫌いになってしまったのです。

先生の立場を利用し、体罰を与えればどんな結果を招くことになるのか、こんな初歩的なことも知らないで先生になったのかと思うと、怒りを通り越して悲しくなってしまいます。