結婚して最初の住まいは港区高輪でした。以来保夫さんが亡くなるまで16回の引っ越しがありました。当初暮らしていた港区高輪清正公前の家はお風呂がなくて、調理コンロは一つという狭~い所でした。銭湯ではいつも待ち合わせていました。今は跡形もなく、ビルが建っています。保夫さんが明治学院大学社会学部を卒業した時、就職先のお世話を頼みに、私の父の親友を二人で訪ねました。英語が得意で海外勤務もオーケーと伝えると…
[連載]せっちゃんのアメリカ滞在日記
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エッセイ『せっちゃんのアメリカ滞在日記 』【第5回】田渕 節子
映画『タワーリング・インフェルノ』の撮影現場になったビルに勤める人の奥さんになれたらな…が実現!?
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エッセイ『せっちゃんのアメリカ滞在日記 』【第4回】田渕 節子
夫の様子がおかしい…長期アルゼンチン滞在許可を手にしたと同時に日本への帰国を決意
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エッセイ『せっちゃんのアメリカ滞在日記 』【第3回】田渕 節子
結婚後も東京→アメリカを転々とする生活に終止符を打ち、タンゴ発祥の地ブエノスアイレスへ
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エッセイ『せっちゃんのアメリカ滞在日記 』【第2回】田渕 節子
娘の目に映る父の姿。優秀な両親の期待を背負い大学へ進学するも…
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エッセイ『せっちゃんのアメリカ滞在日記 』【新連載】田渕 節子
アメリカでの子育てや生活、職場の違い。アメリカ移住した夫婦の自伝的エッセイ。