そのとき、二匹の白狼が鋭い声で吠え始めた。牛馬が「落ち着くのだ」と声をかけてからだを撫でるが、白狼の五感は何かを捉えているようで、その視線は二匹とも同じ方角を向いている。
突如、闇夜を切り裂く強烈な光に覆われ、弁財天はまぶしさに耐えかねて目を閉じた。轟音(ごうおん)が鳴り響き、生臭いにおいが鼻腔を掠めた。
「物の怪か」
牛馬がいった。弁財天は未だに目を開けることができず、牛馬の声に耳を澄ませた。
「弁財天さま、巨大な物の怪が三体います。我ら十五童子のそばをけっして離れぬようにしてください」
十五童子は弁財天との距離を狭めた。耐え切れなくなった仁が、物の怪に向かって走り出した。
「仁よ、待て」
牛馬の叫びも届かず、仁は猛烈な勢いで物の怪へと向かっていく。その鋭い牙は、神々の喉笛を噛みちぎるほどの威力を持つ。二匹の白狼が同道しているのは、弁財天の身の安全を守るためであったが、弁財天は胸騒ぎが収まらなかった。
仁は一体の物の怪に飛びかかった。木陰からは、猛烈な速さで喉笛に食らいついたように見えたが、物の怪の巨大な手に薙ぎ払われ、地面に叩きつけられた。
ひゃん、という鳴き声が闇夜に響いた。
「仁っ」
牛馬が駆け寄ろうとして、ほかの十五童子に止められた。徳はより大きな吠え声を出し、今にも物の怪に飛びかかりそうである。
ようやく視界が利くようになった弁財天は、少し離れた場所に立つ物の怪を眺めた。三体とも、身の丈十尺は超えるであろう化け物であった。
「あの物の怪は、三邪神かもしれませぬ」
そういったのは、知恵と知識を司る筆硯(ひっけん)童子であった。
「筆硯よ、三邪神とは何者じゃ」
弁財天がいった。
「私の知るところでは、三邪神はかつて、三種の神器を手に入れて天部の世界を征服しようとしたことがあるそうです。しかし、神々の力によって地獄道の洞窟に封じ込められたといういい伝えがあります」
「つまり、あの物の怪は三種の神器を狙っているということか」
「その可能性はなきにしもあらずでございます」
「三邪神の名は?」
「中央の三つ首が瘧壓(ギャオス)、左の三つ目が轟々(ゴンゴン)、右の羽を生やしている三つ足が蜚流布(ベルゼブ)と申します」
「話は通じるのか」
「魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類と同じですから、言葉を交わすのは難しいでしょうな」
「むう」
弁財天は唸った。どうやら袋小路に追い込まれてしまったようだ。
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