夜間不意に襲われたことで、武士も甲冑を身に着けておらず、最初の一本は武士の鳩尾(みぞおち)あたりに命中し、男はその場にうずくまったが、二人目の男に打った二本目は躱(かわ)された。武士たちも、相手が忍びだということで、何を仕掛けてくるかと警戒してなかなか掛かってはこられないようだった。

これ幸いと、武士たちをそこに残し、太一は甲賀衆が逃げた方向ではなく、自分が侵入してきた南の枡形虎口へと向かった。忍び刀を踏み台にして下緒(さげお)を口に銜え枡形虎口の屋根へと飛び上がった。屋根を伝って本丸へと戻り、石垣に刺したままにしておいた苦無や鉤縄、水蜘蛛を用いて本丸の堀から脱出した。甲賀衆が追っ手から逃れたかどうか確かめるべく二の丸のほうへと堀の外を走った。

すると、甲賀衆が丘陵の森の中へ入っていこうとしているのが見えた。野州川(のずがわ)方面に逃げるつもりのようだ。その後をだいぶ離れて長束正家の兵が追っている。

太一は正家の兵の先回りをして森の中に爆竹のような大きな音を出す百雷銃(ひゃくらいじゅう)を仕掛け、兵たちが森に入ろうとするところで百雷銃に点火する。ものすごい銃声が、それこそ百を超える数の銃声があたりに轟き渡った。

兵たちは皆、木の陰や叢に隠れたり地面に伏せたりしている。だいぶ刻(とき)が経過しあたりは静まり返ったが、恐怖心のためか兵士たちは、すぐには立ち上がることができず前に進むことができないでいる。太一は安堵した。

(二、三十人ほどしか助け出すことができなかったが、彼の者たちは甲賀の里に戻ることができるだろう)

太一は丘陵を抜け、杣川(そまがわ)を渡り、飯道山の麓の善実坊の屋敷に戻った。

太一の報告を聞いた善実坊は、いつもは渋い顔をしているのだが、それでもこの夜は心なしか幾分穏やかな雰囲気であり機嫌がいい。

「篠山殿から知らせがあった。家康様はご無事だとのことだ。家康様は牛が淵での朝餉の接待は受けず、前夜石部から女乗り物に身を隠し、篠山殿を始め甲賀武士の護衛の下脱出された由……よくやった」

「はっ、それはようござりました」