忍びの者
二
初音は善実坊に密書を届けた。善実坊は密書の内容を確認した。そこには、三成が宇喜多秀家(うきたひでいえ)を総大将として担ぎ、近く挙兵すること、また三成は、伏見より伊勢方面を重視しており、軍は主に伊勢方面に出されるのではないかとする旨の内容が記されていた。
初音に続き、一人の小者が大坂に向け出立した。薬売り姿の太一である。大坂の城下には、薬問屋『信州屋』が置かれ、店主・仁平(にへい)の下、薬の仕入れと称して甲賀と頻繁に連絡を取っていた。
大坂城内には、淀君付きの侍女として香苗(かなえ)と蕗(ふき)というくノ一が入っていた。ちょうどそのくノ一の香苗からの密書が届いたところであった。その内容は重大なものであった。
三奉行、すなわち前田玄以(まえだげんい)、増田長盛そして長束正家らが秘かに語らって、長束正家が上杉討伐に出立した家康を牛(うし)が渕(ふち)で毒殺する計画があるとのことだった。
仁平から密書を託された太一は、甲賀に向かうべく淀川を遡上し、途中からは山へと分け入って近道を辿り里へと急いだ。飯道山の麓の屋敷に善実坊が待っていた。密書を読んだ善実坊は、太一に次のような指示をした。
「いま家康様は大坂城を出て、伏見を発し、大津城主・京極高次殿から昼食の饗応を受けている頃だろう。ことは急を要する。その足で家康様の警護に当たっている山岡道阿弥(どうあみ)様へこの密書を届けてくれ」
太一は山岡道阿弥の下へと向かったが、道阿弥とはあいにくすれ違いとなってしまった。
道阿弥は、伏見城の鳥居彦衛門元忠(とりいひこえもんもとただ)を救援するため、甲賀衆を集めに甲賀の里に向かっていたため、会うことができず、密書は篠山理兵衛資盛(ささやまりへえすけもり)に届けた。
太一は篠山と話し合った結果、家康のことは篠山に任せ、長束正家の居城である水口岡山城への対応をすることとなった。水口城の長束正家の下に留め置かれてしまっている甲賀衆を解放することにしたのだ。水口城には、与一(よいち)という甲賀忍びが下人として入り込んでいた。