年齢は母親の方が下であるが「お父さんがあたしに一目ぼれした」を切り札として持っているのに加え、年頃になっていく息子たちが、朝の時間帯にグズグズ寝ていると、「起きなさい」というのでなく、「具合悪いなら一緒に寝てあげようか」と寝床に入ってくるような持ち前の明るさと行動力、そして、時折交じる関西弁や、後年だが「こまったこまったこまどり姉妹」とか「しまったしまった島倉千代子」とかも独り言するキャラで、男ばかりの家庭を仕切っていた。

そんな家庭で育った宏之は、長男気質ということもあり、母親の言いつけには四の五の言っても逆らわないことが習いとなり、息子たちの図体が大きくなってきて、家が狭くなったなと感じた母親が、「そうだ、習い事に行かせよう」と飛びついた一つであるスイミングスクールにも熱心に通っていた。

その延長線で、宏之は高校でも部活で水泳を続けるつもりだった。

    

西尾泰治(ニシオタイジ)は、身長は高いが、横にもでかいという、自称「大物」だった。

住まいは中野区…と言っても中野駅や中野サンプラザには全く縁のない、練馬や杉並と隣接する区の辺境…の小さな商店街にあった。

小売業の父親と、下町出身のちゃきちゃきで演歌を歌わせたら天下一品の母親、そして洋楽好きの姉との4人家族であった。

父親は、優秀な成績で下町の商業高校を卒業したが、「商人には高等学問は無用」と親から言われ、その頃欲しくてしょうがなかったバイクを買ってもらうことで妥協して家業の店を継いだものの、今となっては、コーチをしている少年野球チームのことばかりを考えているという噂があった。

母親は、商業高校の下級生で、バイクに乗せてもらったことが縁で若き日の父親との交際が始まり、お店を手伝ったりしているうちに結ばれ、子育てが一段落した今は、実質お店を切り盛りしていた。

そんな家庭で育った泰治は、幼稚園の頃、近所に先生が住んでいた縁で、母親が小さい時に夢が叶わなかったピアノを習い始めた。

   

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