小学校から一気に駆け戻った国生は、自宅アパートの玄関前で立ちすくんでいた。彼はひとりっ子で、唯一の家族である母は仕事に出かけているはずだ。それなのに、かかっていなければならない玄関の鍵が開いている。

忍び足で中に入り、廊下からそろりと顔を出してみる。室内の惨状が目に飛び込んできて、しばし呆然となった。廊下を抜けた先の居間も、右手の寝室も、一面に物が散乱していて足の踏み場もない。泥棒が家捜(やさが)しでもしたのだろうか。

ぞくりとしてその場にしゃがみ込むと、ランドセルの重さに耐えきれず尻餅をついた。小学二年生の身体に、中身がぎっしり詰まったランドセルはかなりの重荷だ。

奥から大きな物音がして、飛び上がった拍子にまた尻餅をついた。何かが床に落ちて、派手に砕けたような音。現場はどうやら台所のようだ。その場にランドセルを下ろし、廊下をじりじりと這って進む。

台所が近づくにつれて、辺りに漂う殺気は鋭さを増していく。意を決して息を殺し、台所を覗き込んだ。そこにいたのは、口をへの字に曲げて床を睨みつける女性。

「入って来ちゃダメ!」

大きな声に縮み上がり、慌てて首を引っ込める。台所にいたのは、仕事に出ているはずの母だった。体調不良で早退したようには見えないし、もちろん早く帰る予定も聞かされていない。

「またお皿割っちゃった。掃除機をかけるから台所には入らないで」

母はせかせかと居間に出て来て、すれ違いざまにそう言いつけた。台所には、口の開いた真新しいダンボール箱がいくつも散乱している。

「何してるの?」

掃除機を抱えて戻って来た母は、「引っ越しの準備」とだけ答えて、掃除機のスイッチを入れた。皿の破片が吸い込まれるカラカラという音が、掃除機のホースを軽快に上っていく。

「午前中、引っ越し先の契約をしてきたから、来月から大きいおうちよ。嬉しい?」

「嬉しくない。ここでいい」

掃除機を操る動作が、急に荒くなる。

「どうして? 部屋は増えるし、小さいけどお庭もあるんだから。国ちゃん、自分の部屋が欲しいって言ってたじゃない」

国生は憮然として黙り込んだ。もちろん自分の部屋は欲しいし、庭があればいつでも外で遊べる。念願の犬も飼ってもらえるかもしれない。しかし彼の心は喜びや期待より、これまでの生活を失う不安で一杯だった。

【前回の記事を読む】配られたカードを反す時、同居かそれとも自由か、二人の運命が決する。彼女の手がカードの淵にかかり、未来が決まる瞬間――。

 次回更新は2月23日(日)、20時の予定です。

 

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