一
「てめえ、何しやがる!」
純也が怒号を上げて、男の胸ぐらを摑んだ。締め上げに面食らったのも束の間、すぐに真顔に戻ったネクタイ男は、純也の襟元を強く引き寄せ、強烈な頭突きを鼻先に見舞った。
地面を震わすような鈍い音と共に、純也が両手で顔を覆ってうずくまる。あまりの激痛に声も出ないようだ。
続けざまに男は世理を睨みつけ、遊戯台を激しく叩きつけた。
「おい、イカサマ女! 金返せよ。何ならもっと暴れてやろうか? 学生時代、ボクシングでいいところまで行ったんだ。止めるなら覚悟しとけ」
凄まれた世理は怖がるどころか、「傷害、恫喝、器物破損……。あんたこそ、覚悟あんの?」と冷淡に切って捨てた。
再び遊戯台が乱暴に叩かれる。周りの客は不意の落雷にびくりと縮み上がった。
「ふん、ならどうする。違法営業の裏カジノに警察でも呼ぶか?」
「もう呼んでる。逃げるなら今のうち」
「ペテン師が尻尾を出したな。どうせなら、もっとましな嘘をついたらどうだ」
世理の鼻っ柱がどうしても許せないらしく、男は思い切り平手を振りかぶった。それでも世理は眉一つ動かさず、氷山のように座ったままだ。
男を睨み返す世理の顔が、ようやく上半身を起こした国生の目に飛び込んできた。気丈に振る舞ってはいるが、怖気に潰された内心がはっきりと透き見える。
いつまで経っても、頰を打つ音は聞こえなかった。振り上げられた男の腕に、誰かの細い両腕が絡みついている。歯を剝き出してもがくネクタイ男。その腕にぶら下がっているのは、蹴られた痛みも忘れて咄嗟に飛び起きた国生だった。
ぶり返す腹部の痛みに目を細めると、意外な人物が眼前に浮かんだ。出しゃばりでお節介で粗暴な、実家で一人暮らしをしている母。拳を天へ突き上げて何かを叫ぶ姿は、息子の部活を応援する保護者さながらだ。もう何年も会っていないというのに、なぜよりにもよってこんな場面で──。
ネクタイ男は目を吊り上げて、再び国生を蹴倒した。野次馬の低いどよめきが、店内を激しく震わせる。男が急に動きを止めた。焦点の合わない目で、虚空の一点をじっと見詰めている。周りの誰もが、みるみる青ざめていく男の顔色に気づいた。
野次馬のどよめきが、酔いを一気に洗い流したらしい。我に返った男は出入り口へ向き直ると、泥酔していたとは思えないすばしこさで駆け出した。