一
目的の階のボタンがない。世理から貰ったカードには、ビルの三階と書いてある。しかし目の前のボタンは三階を飛ばして、一、二、四、五……と続いていた。
純也に促されてエレベーターから降りた。エレベーターホールに戻った彼は、天井の隅の暗がりに目を留めた。視線の先には、黒いプラスチックカバーで覆われたドーム型の機器が貼りついている。
「あの丸い機械、たぶん監視カメラだ。ここだけ明るいのは、客を確認するためらしいな。着いたら電話しろとか言われなかったか?」
そんなことを言っていたような気がする。曖昧に頷いてみせると、純也は一変してレモンを丸齧りしたような顔になった。
「なるほどな。だったら取りあえず電話だ」
店に電話をかけた純也が世理の名前を出すと、エレベーターの扉が勝手に開いた。乗り込んだ途端、自動的に上昇を始める。扉が開いた先には、いかにも分厚そうな黒いドアが立ちはだかっていた。
ドアの横には、黒いスーツを着た男が立っている。そこでも純也は世理の名前を伝え、国生の胸ポケットから店のカードを抜き取ってひらひらとちらつかせた。黒スーツの男は黙ったまま、丁寧にお辞儀をして二人をドアの中に招き入れた。
暖色の照明と店内の景色が、暗がりに慣れた目を穏やかに色づかせる。いかにもカジノらしい遊戯台が六台。
その奥には、こぢんまりとしたバーカウンターが見える。そこそこ賑わっている店内には、普段着の若者、くたびれたスーツ姿、グレーの作業着、着飾った年配女性など、様々な風貌の客がいた。
入り口付近で棒立ちになっていると、人影が足早に近づいて来た。純白の長袖シャツに、黒いコルセットのディーラー服を着た、見るからにスタイルがいい女。グラスをいくつも乗せた銀のトレイを片手に乗せている。
「いらっしゃいませ。何か飲まれます?」
女と目が合った。見覚えがあるような気がしてしばらく見詰めていると、ようやく正体に気がついた。学生食堂の隅にいた陰気な女、佐野世理だ。
「すぐに、気づいてよ」
それは無理な注文だった。今の世理は、食堂で会ったときとはまるで別人。
眉やアイラインは丁寧に引かれ、セミロングの髪は結わずに真っ直ぐ下ろし、昼間見た着古しとは似ても似つかないディーラー服を着こなしている。
柔らかな間接照明を考慮しているのか、化粧は少し派手だが、モノクロの衣装の上品さは保たれていて嫌味ではない。
再び目が合いそうになって、つい視線が泳いだ。目の前にいるのは、変わり者の地味女。少し見た目が変わったくらいで緊張してどうする。そうやって逸らされた視線は、通りかかった客の真っ青なネクタイに吸い寄せられた。火照った心に、涼しげな青が心地好い。