一
声が小さくて聞き取れなかったのか、はたまた突然の無礼に呆れているのか。どちらにしても、このまま手帳とにらめっこを続けるわけにはいかない。
思い切って顔を上げると、涼しい顔をした彼女と目が合った。
「94、61、86、166・4センチ、53・5キロ」
あまりにも大胆な申告。泳いでしまった視線をちらと戻すと、悪戯っぽい瞳と意味深な微笑みが待っていた。
「今のは、マリリン・モンロー」
呆気に取られていると、彼女は何食わぬ顔でテーブルを片づけ始めた。その口元は不敵に綻んでいて、どことなく嬉しそうにも見える。
「本当のこと、知りたいなら、遊びに来て」
帰り支度を終えた彼女は、茶色の長財布を取り出すと、そこから名刺サイズの黒いカードを一枚引き抜いた。
「ここで、バイトしてる。このビルまで来たら、店に電話して」
半ば強引にカードを押しつけた彼女は、第一印象とはかけ離れた人懐こい含み笑いを浮かべると、食堂の裏手から出て行った。
遠ざかっていく後ろ姿を、ガラス越しにぼんやりと見送る。サイズが合っていない白Tシャツと、だぼだぼのカーゴパンツが、初夏の南風に激しく煽られている。
そのとき、ひときわ強い若葉風が吹きつけて、衣服が身体にぴたりと張りついた。そのシルエットは強い陽射しと相まって、国生の瞼にはっきりと焼きついた。
94、61、86──。地味で内気なマリリン・モンローが、乱れた髪を掻き上げながら去っていく。国生は世理のことを、嘘が下手な女だと思った。