第4話 強制的トリクルダウン
4月30日
タージマハルは最悪だった。ここでも訳のわからないトリクルダウンに悩まされた。満月だったので夜の入場可ということで出発を遅らせた。
アグラに着いて、アグラ城とタージマハルを見学する予定だった。まずはアグラ城。しかし夜のチケットが取れずあちこちに連絡しているうちに1時間半が経過していた。アグラ城は無理だが、タージマハルの案内人が来るから待て、と言う。
「案内人なんかいらない。一人で勝手気ままに見るから」と何度言っても聞き入れない。
「こんなことしているうちにどんどん時間が過ぎていってしまうから、早く入り口に連れて行って」と言っても電話ばかりしている。何なんだ、このシステムは。そしてお決まりの「案内人は無料で、日本語もできるから」と押し付けてくる。
中にやっと入っても、「ここで写真、はいむこう向いて、こういうポーズで」の一点張り。ゆっくり見た気もしない。
大混雑の中、屋内に入ると中の警備員が装飾の説明をしてくれる。そうなんだと納得していると、例の親指と中指をすり合わせるしぐさで、チップを要求してくる。
ここでのトリクルダウンは、こういう具合だ。
旅行社はタクシーを手配する。
タクシードライバーは現地では案内人に任せる。
案内人は警備員に説明させる。もちろん言葉は抜きで、しぐさのみ。
それぞれが後のものにいくらかの手数料を払う。
あわよくば金持ち観光客からいくらかのチップも手に入る。
大きな声で言おう。何なんだ、このシステムは。正直言って落ち着いて見ることもできなかった。一人でのんびり、何の説明もなしで感動したかった。
ただ美しいトリクルダウンも見た。ハリドワールでの滴るような神の愛とそれを受ける信者の姿。多分トリクルダウンとは本来美しいものに違いない。人間は本当はそれを望んでいる。
しかし、インドの中に富める者(金を持っている者)から、それより貧しい者は恩恵を被るのは当然のことだという信念が存在していることは否定できない。もしかしたら、その考えの方がまっとうなトリクルダウンなのかもしれない。
つまりトリクルダウンとは、それを富める側から見るのか、貧しい側から見るのかによって様子が違ってしまうのだろう。雲を透かして薄く見える満月を探しながら帰途に就いた。もう明日はインドを離れる日だ。