【前回の記事を読む】「この楽器は何故こんなに乱雑なんだね」癖のある教師に見つかった。直線を愛し、全てが直角、直線に揃わないと気がすまないらしい。
一年生
五月だった。家々のツツジや牡丹が咲き揃っている中を、朋は登校のために坂道を降っていた。坂の下の大浦石橋(おおうらいしばし)の停留所から電車に乗って諏訪神社で降りる。
道の両側から、盛りのツツジが馨(かぐわ)しく匂っていて、生垣の上から覗くボタンの花が、青空に赤やピンクや白の色を鮮やかにしている。
朋はこの季節がいちばん好きだった。湿気の多い長崎にしてはめずらしくカラッと晴れた日が続く。嫌なのは二月から四月にかけての黄砂(こうさ)の時期だった。
大陸から吹き寄せられてきたホコリのような砂は、家の屋根も、電車の窓も白くよごし、違う街になってしまったような白く淀んだ景色はいやだった。
六月を過ぎると長崎は蒸し暑くなる。港を山が囲んでいるので湿気と熱気が街中に滞るのだ。冬は東シナ海からの季節風が強い。
秋は悪くないが、一番はこの四月下旬から五月中ごろにかけてのツツジの咲くころだ。ツツジの香りに包まれて、よく晴れた空の下を海に向かって下ってくると、胸が広くなったような気がする。
目のまえの長崎湾は朝の陽に照らされて銀色に光っている。左手の神崎鼻(こうざきはな)の海は空を溶かし込んだように青い。
美しい! この時期の長崎は、何もかもみな美しい。
そんなことを考えながら下ってきたら、停留場が近くなった。市女のころは、そこで同級生と待ち合わせたものだが、彼女たちは卒業して、みんな仕事に出ているか家に入っている。待ち合わせる人がいないのが少し寂しい。けれども、そこに高等商業学校の生徒に居て欲しくはない。