しかし何百年と中華帝国の冊封下で染みついた儒教の鎖は固く、陋習(ろうしゅう)(望ましくない習慣)を破ることはなかなか困難であった。後に玉均は閔妃(みんぴ)の指示によって、金正男のようにして上海で暗殺されている。

後の開明家の金大中元大統領でさえも、日本国内から拉致されて暗殺されかけている。欧米に対抗できるアジアの仲間として朝鮮や中国の近代化を望み、多くの支援をしてきた有意の人々でさえもとうとう諦めてしまうほどであった。

アジアにおいて傍若無人に振る舞う欧米諸国を目の当たりにして、時代遅れのアジア諸国やアジア人のために何とかしなければと思いつめた福沢諭吉たち積極進取の意志を持った文化人たちの真心は残念ながら行動を起こすまでには至らなかった。

一方至誠を旨とする言行一致で多感な行動派の為政者や軍人たちは、当然「征韓」を持ってでも何とかしなければとなったことであろう。

一九〇五年、日露戦争末期に結ばれたタフト協定によって、米国は日本の韓国併合を黙認する形となっている。当時既にリベラリズムの発達していた米国でさえ、朝鮮の現状に対してはそうだったのである。

第二次世界大戦後、一九四八年八月十五日に韓国が、ひと月遅れの九月九日北朝鮮がそれぞれ建国されるが、建国後まもない一九五〇年六月、突然北朝鮮が韓国に侵攻し、朝鮮戦争が勃発し自ら南北に分裂する。

その戦いは北朝鮮の金日成が半島の共産化を狙ったもので、スターリンや毛沢東らも影で関与した可能性がある。この戦いに国連軍を主導して戦った米軍は非常な苦杯を喫することになる。

韓国及び北朝鮮にとっては、従来どおり中国の華夷秩序(属国)の下、親露政策をとりながら儒教の教えに従ってのんびりと暮らしていたほうがむしろ居心地がよかったのかもしれない。

日本によって近代化した競争世界に無理に引き出されたために米中露の間で戸惑い、余計なことをしてくれたと思えるような態度をとっているような韓国の姿がそこにある。

韓国の近代化への歩みが韓国併合の道に至る最大の要因は、ロシア・清国・米国・日本間の満洲における鉄道権益をめぐる争いにあった。鉄道権益をめぐっては日露間に一日の長があり、日露の了解が先にあって次いで後手の米国と日本の間にも合意がなされたのである。

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