高校二年生の時、幼馴染の西門(にしかど)愛弓が夏祭りで掬った金魚を、自分は飼えないと泣きつかれたから引き取ってやり、玄関に放置されていた水槽に入れた。縁日の金魚などすぐに死ぬと思ったが存外長生きで、雪子が大学に入ってもまだ大きくなり続けていた。

ある日、大学から帰ったら父が水槽の前でなにやら作業をしていた。水槽からはコードがのびて玄関と廊下を横切っている。

やがて水槽がブーンガガガガと騒音を立て始めた。エアーポンプだった。

「二十四時間つけておくの?」

作業を終えて満足げに立ち上がる父に、雪子は尋ねた。

広い水槽に金魚は一匹、悠々と泳いでいた。いつのまにか手の平ほどのサイズになっている。餌はよくある市販品、水は定期的に換えているが、温度管理も空気の管理も一切していない。その環境でもここまで大きくなったのだ。なぜ今さら、エアーポンプなどつける必要があるだろう。そもそも父がどうして急に金魚に興味を持ったか、雪子にはまるで理解できなかった。

いや、ある程度は予測がつく。妻も娘も言うことを聞かず、口答えばかりで可愛くない。うだつが上がらず職場でも必要とされない。家族で飼っている猫ですらも、自分にはそっぽを向く。だから金魚なのだ。金魚は文句を言わないし、自分がいなければ生きていけない。要するに、優越感に浸り自己肯定感を得られる相手が欲しかったのだろう。

「夜中や人のいない昼間だけ、つけておけばいいんじゃない? 切るよ」

「あかん。ちゃんとしやんと、死ぬやろう」

父が掠れた不機嫌な声で言う。ハダカデバネズミそっくりの小さくみすぼらしい目が、うるさそうにこちらを睨んでいた。

     

【前回記事を読む】家の中に侵入すると、ごみ袋やガラクタだらけ。テンプレすぎて笑ってしまう。人間というより蛆虫だ。おあつらえ向きの夜ね。

次回更新は2月3日(月)、22時の予定です。

   

【イチオシ記事】喧嘩を売った相手は、本物のヤンキーだった。それでも、メンツを保つために逃げ出すことなんてできない。そう思い前を見た瞬間...

【注目記事】父は一月のある寒い朝、酒を大量に飲んで漁具の鉛を腹に巻きつけ冷たい海に飛び込み自殺した…