バースデーソングは歌えない。
2 邂逅 〜喜美子〜
「もう行っちゃうの」少女が眠たい目を懸命に開けて訊く。「どこまで帰るの」甘い声が耳をくすぐる。このまま手を振って、あの重たい扉をくぐってしまえば、もう二度と会えない気がして途端に悲しい気持ちに包まれた。
「あのさ」
急に首から背中が汗でじとつくのを感じた。
「もしよかったらなんだけど……」と留保を付けても、次の台詞は人生で初めて口にするもので、相手の反応次第では自分が窮地に陥る劇的なものだったのだが、喜美子は意を決し、「うちに遊びに来なよ」と言った。それに対する少女の反応は、「え? いいの?」と好感触で、喜美子は「もちろん、もちろん」と畳みかけた。
一緒に店を出て、始発に乗った。土曜日、朝五時台のメトロにはスーツ姿の会社員と思しき人たちがまばらに座っていた。車内で誰かと並んで座るのは久しぶりだった。
少女のまん丸のひまわり顔は、まだまだ眠気の膜で覆われていた。
3 抱擁 〜喜美子〜
「お邪魔しまーす」
人を部屋にあげるのはいつぶりだろう? 私的な空間を開放するのは、だいぶ照れ臭さがあった。
「あったかーい!」少女は、脚を曲げて厚底を掴み靴を引き抜く。しっかりと揃えるあたり、案外厳しい家庭で育ったのだろうかと想像する。
「可愛いお部屋! あたし好み」
タッセルでまとめられたサーモンピンクのカーテンが、白を基調とした部屋のアクセントになっている。少女は、とたとた小さな足音を立てて窓際まで駆けていった。テーブルに置かれた一輪挿し、天井からぶら下がる球体のペンダントライト、正規プロダクトのおしゃれな椅子、ソファには見向きもせず。