とにかく毎日、たとえ15分でも20分でも一樹の顔を見られるだけで安心できたんだ。なぜだろう。たいした話はしていないのに。

「なーくんもう夏休みだよ」なんて、普通の話をし「買っておいたプール活用してね」と特に深刻な話はせず、くも膜下出血の影響は、言語や記憶、手足には出ていないことに驚き安堵した。

一樹が急に普通に足を動かすから、「うわ! 普通に足が動くんかい!」と、なぜかいつもみたいなツッコミを入れてしまうくらい、本当にとても普通のやりとりをしていた。

少し怠そうにはしていたけれど、目が見えていて、手も足も動いて、普通に話せて、ベッドに横になっている時点で特に後遺症のようなものはなく、いつも通りの会話をしている事実に日に日に安心感を覚えた。

目が見えるようになっていた、手足も動く、話せる、もうそれだけで充分だ。

そう思っていた。

もしその後、立つことや歩くことが難しくたとえ車椅子の生活になったとしても、一樹が生きていてくれるなら、そんなことは全然気にもしなかった。

くも膜下出血を起こした以上、程度は違えど、何かしらの障害などが残る可能性があることは重々覚悟していた。

もし、視力が戻らなかったら。

もし、手足や半身に麻痺などが残ったら。

いろんなことが、手術中は頭の中を駆け巡ったが、それでも〈生きていてくれればそれだけでいい〉

結局行き着くのはその言葉だけだ。

もしも、視力が戻らず目が見えないのなら、私が一樹の目になろう。車椅子になるのなら、私が一樹の足になろう。

本当にそう思えたし、それをお荷物だなんて微塵も思わなかったんだ。