でも、一樹とまた見つめ合うことができた。

手を繋ぎ、抱きしめ合うこともできたのだから、私はそれだけで充分だと思えた。

それでも、2週間は特に油断できない状況であること、急変することもまだあり得るということも、医師から詳しく説明されていたはずなのに、なぜだろう。

私は、一樹の顔を見ると、そんなことは全部頭から吹き飛んでいた。

普通に過ごしたあの数日間。

いや、普通に過ごしてしまったあの数日間を、私は悔いているのだろうか。

そして一樹は、長い麻酔の影響なのか、出血による影響なのか、まだ判断できない段階だったけれど、面会を続けていく中、次の日に会うと、前日私と会ったことを覚えていなかった。

その時は、単純に寂しいというのか、何を話したのかさえ覚えていないことがショックだった。

きっと、今日、今、私といるこの時間も会話も、今の一樹の記憶は長くはもたないのだと、明日にはまた忘れているのだと思うと、心の奥がぎゅっと苦しくなった。

なので私は、初日に手作りして持っていったカレンダーに、会った日は印(ニコニコマーク)をつけようと提案し、その提案さえ忘れてしまうかもしれないので、カレンダーのふちに「ニコニコマークが書かれている日は私と会った日だよ」とその場で書いた。

そしてこの日、たまたま昼食の時間と重なり、体勢のせいで昼食が食べにくそうだったので、私が介助したら「まさかこんなに早く薫に介護されるなんてね」と言われた。

「そんなの、遅かれ早かれそうなるんだし、それが少し早くなっただけの話でしょ」と言うと「そうだね」と柔らかい表情で答えた。

そして「また明日も来るからね」と、握っていた一樹の手を離した……。

その日が、最後の日になった。

それが、面会を始めて4日目のことだった。

        

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次回更新は1月24日(金)、21時の予定です。

  

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