論理的矛盾に陥るでもなく、確然と可知、不可知を分離して、人は自然である山と観念である神を介して、古来より不離な相互関係を築き、均衡の取れた共存を保持した。

こうした一連の思想は概念上神道と称され、仏教と双璧の宗教へと成長した。山と特別に関係の深い両宗教が、本書の主題の一つになった。

両者の関係は歴史的に日本人の生活、文化、習慣、信仰心、宗教観や伝統様式を整然と反映、習合している。

人はなぜ高いリスクを覚悟しつつ山に登るのか。何を見たいのか、何を聞きたいのか、何を嗅ぎたいのか、何を味わいたいのか、何に触れたいのかの疑問に関しては、五官の機能、則ち五感にヒントが隠されているのかと一人勘考し、古今の智恵、第三者の示唆に依拠した。

限られた読者からの反応であっても、直接の指南、メッセージほど心に刺さるものはなかった。自分の提起したテーゼに対する感懐なり感想を拝受して、本作執筆の機縁ともなった。

本稿では、百名山登山後に醸成された思いの丈を、直感的暗黙知に従って披瀝した。鮮烈な事象をしみじみと思い巡らしていると、思考は多面的に増幅されて、想像性や仮想性も併行して高まる。

不思議なことに回想し、脳裏に描いて嫌な事柄、虚しい想像は一毫もない。山行体験から派生した副産物、則ち遺珠を見つけ、僅かでも新たに知ることは楽しく、山の効験と確信した。

具体的に日本国家樹立に関わった民族、歴史、伝統的形態(天皇制、宗教、信仰、文化等)、自然の豊潤を主眼に据え、百名山登高で醸成された功徳を独自の視座で描いた。

それにしても、我々は民族という縛り、国家という括りからは脱却出来ない。山行で体得した学習は、その瞬間に視覚、聴覚で捉えた単純な画像や音声に止まらず、連綿と続く国家と民族、政治と宗教等と密接に関連し、追想の彼方に仏法的、神道的因縁もよぎる。

つまるところ、百代の旅人として、如何なる民族が如何なる歩みを、この山島に篆刻してきたかを再見した。勿論、それ以外、山行に関わる新知見の発見、目的の達成感、自然景観等の記憶が蘇れば、美酒で夜光の杯を挙げたい心境である。

本稿は山に対する情緒的感想を礎石として、派生的に炙り出された別次元の深奥にして遠大な日本の歴史、文化、伝統等を反芻して編纂した。

粗漏なく纏めきれてはいないが、前作を補完して紡いだ私の趣意が、山に興味がある人々に僅かでも共感され、登山の楽しさ、奥深さを見詰める一里塚になれば望外の喜びである。

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