白寿の記憶
「よくがんばって、一人で来ましたね。もう大丈夫、あとは任せてください」という先生の心強い言葉に救われた思いがしました。
日頃から先生には我が家の事情を話しており、緊急時にはよろしく頼むと主人からもお願いしていた経緯がありましたので、心配して待ってくださっていたのです。
夜中から陣痛が始まり、翌日、元気な男の子を出産。私の味方が一人増えた気がしました。その日の夜には、主人が仕事帰りに寄ってくれ、わが子との初対面です。
「おい、赤ちゃん、僕がお父さんだよ」と言いながら、慣れない手つきで子どもを抱いてくれました。
「名前を考えないといけないな。いつまでも赤ちゃんだとおかしいからね。退院するまでに考えておくよ。僕は仕事が忙しくて見舞いに来れないが、しばらくゆっくりしているといいよ」
病院での数日間は、先生や看護婦さんに囲まれ、子どものことだけを考え、 ゆったりとした気持ちで過ごすことができました。退院したら養生ができないことを先生もご存じでしたので、通常より少し長く入院させていただけたのがとても助かりました。
退院から数日経った日のことです。
姑が部屋に来て「敏子さん。赤ん坊がぎゃあぎゃあうるさくて毎日寝不足よ。頭も痛いし。もう我慢の限界です。今日から、しばらくは下で寝てくださいね」と、有無を言わさず二階から下の和室に移されてしまいました。
姑夫婦には子どもがいなかったため、大学生だった主人を養子に迎えたので、子育ての経験がありません。
でも、養子を迎えたくらいですから、子どもを好きだと思っていたのが大きな間違いでした。どうやら、今井という名前を継いでくれればよいということだったようです。
「お義母さん、孫が可愛くないのかしら」という私に、
「自分が子育てをしたことがないから分からないのだと思うよ。でも、もう少し大きくなったら、可愛いと言い出すに決まっているよ」と、主人は気にもしない様子でした。
確かに長男はよく泣いていましたが、赤ちゃんは泣くのが仕事ですから仕方ありません。私たちは、姑がゆっくり休めるように、しばらく一階の部屋で過ごすことにしました。
長男はそんなことも知らず、日々成長し、秋にはハイハイをするようになりました。
「お義母さん、ハイハイを始めましたよ。可愛いでしょ」
「おやおや、あちこちうろうろして物を散らかさないよう、ちゃんと見ていてくださいよ」と、姑はにこりともしないで二階に上がっていきました。
夜になって夫が帰宅すると、さっそくそのことを伝えました。
「ねえ、お義母さんは芳雄を一度も抱いてくださらないのよ。本当に嫌いなのね。この子が可哀そうだわ」
「まあ、しょうがないよ。血が繋がっていないのだし、嫌いなものを好きになれと言っても無理だろう。おい、芳雄、ただいま。元気だったかい」といいながら、芳雄を抱き上げ話しかけました。