がんばれ、新人添乗員

最初からやばい!

昭和四十四年春。真知子は、F旅行社に就職した。就職先は、大学三年生の夏、ライアーズクラブの交換学生で二か月余りアメリカに滞在したときにお世話になった旅行社である。会社は、大阪駅からほど近いビルの五階にある。自宅から四十分ほどという立地も気に入っている。

社員の半数は女性。しかも英語が話せて、英文タイプもお手のもの。外大卒業の人は、中国語、スペイン語、ドイツ語、インドネシア語などを話す者もいる。仕事内容も給料も男女平等で、実力主義を旨とする会社だ。社員は、いずれ研修や添乗で海外に行けるというのも魅力的であった。

まだまだ四年制大学卒業の女性が社会で働ける場が少なかった時代だから、当時としては結構時代の先端を走っている企業だったといえる。

真知子は、毎日、新しいことを覚えるのに一生懸命だったが、充実した日々を過ごしていた。

ちょうど梅雨にかかる時期に入った頃のことである。

「山田さん、ちょっと、会議室に来てくれるか」

課長からの呼び出しである。入社三か月の真知子にとって、呼び出されるほどの失敗はしていない。というか、失敗するような仕事は任されていない。何事かと思い会議室に行くと、支店長まで座っている。

「山田さん、仕事はどうですか、少しは慣れましたか」と支店長。にこやかな顔をしているところを見ると、どうやら叱られるのではないらしい。

「はい、毎日新しいことを覚えるのに忙しいですが、とても面白いです」

「ところで、あなたは、学生時代アメリカに行っていますよね」

「はい、支店長もご存じの通り、昨年の夏にはS市の交換学生でカリフォルニア州のバークレーに、大学三年の夏には、Lクラブの交換学生として二か月間カリフォルニアでホームステイをしたあと、アメリカ一周旅行に参加しました。そのときは、田中係長が添乗員でした」真知子は、カッコ良かった田中添乗員の姿を思い出しながら答えた。